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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)12号 判決

原告 上井ヨシ子

〈ほか五名〉

右原告ら六名訴訟代理人弁護士 佐伯幸男

同 浅井利一

被告 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 成田信子

〈ほか四名〉

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告ら

1  被告は、原告上井ヨシ子に対し金一五八八万一〇〇〇円、同上井博文、同上井睦之に対しそれぞれ金一四七八万一〇〇〇円、同稲葉洋子に対し金一六二九万円、同稲葉一彦、同稲葉浩美に対しそれぞれ金一五一九万円及びこれらに対する昭和四七年七月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行の宣言

二  被告

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  本件事故

訴外上井熙(以下「熙」という。)及び同稲葉允(以下「允」という。)はいずれも海上自衛隊第二〇三教育航空隊に所属する二等海尉の海上自衛官であった者であるが、昭和四七年七月二六日午前九時五〇分ころ、熙は正操縦員機長として、允は副操縦員として右航空隊所属の対潜哨戒機P2Ⅴ―7型二〇三―四六五〇号航空機(以下単に「五〇号機」という。)に乗り込み、鹿児島県にある海上自衛隊鹿屋航空基地に向けて千葉県の下総基地を発進したが、同日午後〇時五一分ころ右鹿屋基地北方約九キロメートルの鹿児島県鹿屋市上祓川町大平国有林一四六林班チ小班(高隈山東斜面、標高約三六〇メートルの地点)付近において右高隈山山腹に衝突し、熙・允をはじめとする搭乗員七名全員が死亡した。

2  被告の責任(主位的主張 営造物責任)

(一) 右五〇号機は海上自衛隊に所属する航空機であるから、被告の設置・管理にかかる営造物である。

(二) 五〇号機は鹿屋基地東方約一五海里の地点にある枇榔島上空付近を通過後左旋回し、別紙図面BCDIJの各点を順次結んだほぼ直進の航路(以下「直進航路」という。)をとって同基地に着陸しようとしたが、同図面D点付近でその搭載していたジャイロコンパスに約三〇度の偏差を生じ、そのため同機はその後概ね同図面DEFの各点を順次たどる航路(以下、同図面BCDEFの各点を結ぶ航路を「飛行航跡」という。)をとった結果、本件事故が生ずるに至ったのである。

(三) 仮にそうでないとしても、五〇号機は枇榔島上空付近で左旋回をした直後からそのジャイロコンパスに遅れが生じ、同図面D点付近でその偏差が累積して約三〇度に達したため、五〇号機は同図面I点ではなく同E点に向かう航路をとることとなり、その結果本件事故が生ずるに至ったのである。

(四) 従って本件事故は、五〇号機のジャイロコンパスに故障が生じたことによるものであるから、被告の営造物の管理の瑕疵に基づくものである。

3  被告の責任(予備的主張 安全配慮義務違反)

(一) 被告は、国家公務員に対し、その公務遂行のための場所、施設若しくは器具等の設置管理又はその遂行する公務の管理にあたって、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っている(最高裁判所昭和五〇年二月二五日判決 民集二九巻二号一四三頁)。

この場合被告に要求される注意義務は信義則上の義務であり、民法上の一般的な注意義務より高度のものであるから、殊に本件のような航空機の運用に関しては操縦者になんらかの不注意がある場合をも考慮してなお事故防止のため万全の方策をとるべき義務があるというべきである。従って、被告が航空機の整備等について一般的に規定を定めこれに基づいて運用したからといって直ちに右の注意義務を尽くしたこととはならないものというべきである。

しかして、被告は左のとおりその義務を懈怠したため本件事故が生じたものである。

(二) 五〇号機の計器類整備の不備

前記のとおり五〇号機の計器類、殊にジャイロコンパスに整備不良があり、そのため飛行中偏差故障が生じた。

(三) 鹿屋基地における航法援助機器の整備及び運用の不備「タカン」は、地上から航空機搭載機器に電波を送って航空機の基地に対する方向と距離との確認を可能ならしめる航法援助装置であるが、本件事故当時鹿屋基地ではタカンの運用を停止していた。ところで五〇号機搭載のADFは当時作動しえたが、これは航空機の基地に対する方向を指針で示すにすぎないものである。従って航空機が自機の飛行方向の判断ができない場合にはその利用の価値は大きいが、前記のとおり五〇号機は飛行場へ直進のまま飛行しようと意図しており、飛行場に対する方向については確信をもっていた場合であるからADFを利用する必要性はなかったのである。そして被告は航空機を運用する以上航法援助装置については飛行の安全のためあらゆる施設を総合的に利用できる状態にしておくべき義務があるのであって、タカンを利用できないことは操縦者がその機位について疑いを生じた際における重要な判断基準を奪うものというべきである。

また、当時下総基地から帰還した五〇号機を含む九機の航空機の指揮官(二〇三―四六四二号機搭乗)は他の全機に対して、地上着陸誘導装置であるGCAによる着陸を勧告していた。ところでGCAによる着陸誘導は原則として航空機からの要請がある場合になされるのであるが、当時のように指揮官が全機に対しその利用を勧告したような場合には、航空の安全上管制塔又はGCA担当員は積極的にGCAによる捜索を実施し必要な勧告・誘導を行うべきであった。しかるに五〇号機はそのような勧告及びGCAによる誘導を受けなかったものであって、GCAの運用状態は飛行の安全を保つべき被告の行為として欠けるものがあったというべきである。

(四) 航法交通管制の実施上の不備

鹿屋基地の管制官は、通常在空機に対し着陸許可を与えた後には当該機との交信(機からの位置通報等)及び肉眼又は双眼鏡によってその機位を確認し適切に誘導すべきである。しかるに当時管制官は五〇号機の前後を飛行していた機との交信に手をとられて五〇号機からの交信も満足に傍受せず、従ってまた五〇号機の機位の確認すら全くできていなかったのである。

(五) 航空気象事務の実施上の不備

鹿屋基地の管制官は五〇号機との交信にあたり、安全飛行に必要な観測予報の告知、勧告等を怠った。

(六) 以上の各事実は、各々それ自体で被告の安全配慮義務違反を構成するものであるが更に以上の各事実を総合すれば、本件における被告の右義務の違背は一層明らかであり、これらが本件事故を生じさせる原因となったものである。

4  原告らの損害

その内容は後記五項のとおりであって、同項に詳述するように原告らは、本件事故により、それぞれ請求の趣旨記載の金額相当の損害を被った。

5  よって原告らは被告に対し、主位的には国家賠償法二条一項に基づき、予備的には安全配慮義務違反に基づき、各請求の趣旨記載の損害賠償金及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四七年七月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

《以下事実省略》

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで原告らの主位的主張(営造物責任)について判断するに、請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがないから、本件五〇号機にいわゆる設置・管理の瑕疵があったか否かについて検討することとする。

1  一般に航空機が鹿屋基地に着陸する場合その通常の航路が別紙図面BGHIJの各点を結ぶ通常航路であること、しかるに五〇号機は枇榔島上空付近を左旋回後、概ね同図面BCDEFの各点を結ぶ飛行航路跡をたどったことは当事者間に争いがない。

ところで、原告は、「五〇号機が同図面BCDの各点を結んだコースをとったのは、通常航路ではなく、同図面BCDIJの各点を結ぶ直進航路をとる意図に基づくものであるところ、右のうちD点付近で約三〇度右旋回したのは、同点付近で五〇号機搭載のジャイロコンパスに約三〇度の偏差が生じたか、或いはまた、B点付近通過後右ジャイロコンパスの偏差が生じ、右D点付近においてその累積の結果が約三〇度に達したためである。」と主張する。

2  なるほど、《証拠省略》によれば、枇榔島上空付近左旋回後志布志湾から陸地部分の上空を通過する際、視界が良好の状況においては、同図面BGHの各点を順次直線で結んだコースをとる場合と同図面BCDの各点を順次直線で結んだコースをとる場合とでは、航空機の操縦者は地形等の異同を識別しうるものと推認できるから、五〇号機は意図して後者のコースを飛行したのではないかとも窺えるのであるが、しかし他方、《証拠省略》によれば、五〇号機が枇榔島上空付近を高度一五〇〇フィートで飛行していたのは事故当日の午後〇時四三、四分ころであったが、それより約五分前に同島上空を通過し串良上空を経てダウン・ウインド・レグに進入していた二〇三―四七二七号機は、同四一分ころ、同島付近を飛行中の二〇三―四六二〇号機に対し、串良上空付近までの天候が悪い旨告げていること、同四〇分台のころの同島から大崎を直線で結んだ付近の高度約二〇〇〇フィート以下の上空においては小雨やもやで視界がかすんでいたこと、五〇号機の後に同島上空を同四八分ころ高度五〇〇フィートで飛行していた二〇三―四六三二号機(以下「三二号機」という。)は、志布志湾の海岸線ははっきりと認めたものの陸地部分の上空には多くの雲を確認していることがそれぞれ認められるから、結局熙及び允が当時飛行中下方の地形等を明確に視認しえたか否かは明らかとはいい難い。

また、《証拠省略》を総合し、弁論の全趣旨を参酌すれば、航空機は離着陸の際には見張りを厳にし管制指示に従うとともに極力定められた経路を飛行しなければならず、鹿屋飛行場に着陸する場合についてこれをみると、ダウン・ウインド・レグの風上側から滑走路正横点付近に交角四五度で進入すべきものと定められていること(昭和四四年第一航空群達第九号)、ところが前記直進航路をとる場合にはダウン・ウインド・レグに交角0度で進入することになるが、このように定められた経路以外のコースをとって着陸しようとする場合には、安全性の見地からみて当然同基地管制塔の特別の許可を要するものと解すべきことが認められるところ、前掲乙第一号証(交話記録)には五〇号機と同基地管制塔との交信が記載されているが、その記録中には五〇号機が右のような例外的進入方法をとる旨管制塔に対して通告し、管制塔がこれを許可したことは窺うことができず、他にこれを認めるに足りる証拠は存しない。

以上のとおりであるから、前認定の事実関係からは、未だ五〇号機が意図的に別紙図面BCDの各点を結んだコースを飛行したとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠は存しない。従って、右を前提とする原告の主張は失当というべきである。

3  しかしながら翻って考えてみるに、《証拠省略》によれば、鹿屋飛行場の場周経路に進入する高度はP2V―7型機の場合一二〇〇フィート(約三六〇メートル)と定められていること、同飛行場の四、五キロメートル以北は山岳部となっていること、熙及び允は同飛行場のある鹿屋基地所属のベテランパイロットであり同飛行場付近の地形も良く承知していたことが認められるから、同飛行場への着陸を意図していた五〇号機が通常のコースと全くはずれた別紙図面E、F点方向に飛行する意図は全くなかったものと推認される。しかるに五〇号機が右方向に飛行したことは前記のとおりであり、しかも同機の飛行コース(同図面のBCD点を結ぶコース)が定められた通常のコース(同図面のBGH点を結ぶコース)と異なるコースであること等に徴すれば、同機に搭載されたジャイロコンパスが故障していたと考えられないことはない。

そこで、当裁判所は後記の諸点について総合的考察を加えたわけであるが、本件の事実関係のもとでは、未だ五〇号機に搭載されたジャイロコンパスはもとよりその他の計器類に故障があったとは認め難く、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はないと判断するものである。以下これを詳述する。

4  第一に、《証拠省略》に弁論の全趣旨を加えて判断すれば、五〇号機については本件事故前の昭和四七年三月二七日から同年六月八日までの間定期修理が実施され、その後も随時各部分の整備が重ねられていること、事故当日も熙ら五〇号機の各搭乗員は定められた飛行前点検を行いその結果なんらの異常もなかったこと、飛行中計器類を含めて搭載機器になんらかの異常が認められたときにはたとえ鹿屋飛行場から遠く離れた空域にあっても同飛行場の管制官に対しその旨の報告が可能でありかつ必要であるが、五〇号機からはそのような報告は全くなされた形跡のないことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  第二に、《証拠省略》によれば、本件P2V―7型機には、飛行中その方位を確認するための計器として、ジャイロコンパスのほかに、ほぼ絶対的に故障することのないマグネットコンパス(磁気羅針盤)が、また飛行場の方向を確認する計器として、ADF、タカン対応装置及びロランが搭載されていること、操縦者は通常ジャイロコンパスとマグネットコンパスとを照合して方位を確認しながら操縦しているから、一方に故障が生じた場合にもその発見が可能であること、ジャイロコンパスに電気系統の故障がある場合には警報装置によってこれを知り、予備電源に切り換えることによりその機能を回復することができること、そして操縦者は右のような各種計器によって得られた情報に操縦者自身が直接認めた地形をも総合し、確認してあるポイントからの時間と速度によって風の影響をも考慮の上飛行距離を割り出し、そのときの機位を確認するものであることが認められる。

なお、右事実によれば、五〇号機が搭載していた方位に関する計器のうち、ADF、タカン対応装置、ロランを除くジャイロコンパスを含めたその余の計器類はいずれも航空機が飛行している絶対的な方位を知ることしかできず、それだけでは目的地たる鹿屋飛行場の方向を当然には知りえないのであるから、別紙図面HIの線分と、同図面DEの線分の如くほぼ平行なコースを飛行する場合には右計器類の指針には別段の差異を生じないことは明らかであるところ、当時地上のタカンの運用が停止されていたことは当事者間に争いがなく、ロランを運用操作していたかどうかについては本件全証拠によるも明らかではないから、結局当時五〇号機が搭載していた計器類のうち鹿屋飛行場の方向を知りうる唯一の計器と認められるADFについて考えるに、五〇号機が別紙図面P点付近で同機の機位を「鹿屋基地から東方約六海里」(実際は北方約五海里)と報告しており、当時同機はその機位を完全に誤認していたことは当事者間に争いがないことに加え、《証拠省略》に弁論の全趣旨を加えると、ADFは電気系統による故障がありうること、鹿屋飛行場に着陸する場合には、操縦者は通常その三〇海里以遠で同飛行場のADF地上局のラジオビーコンの周波数にADFをセットすること、その結果鹿屋飛行場の方向がADFに自動的に表示され、飛行中もその方向を容易に知りうることが認められるものの、《証拠省略》によれば、P2V―7型機には独立に作動する二台のADFが搭載され、そのいずれもが同時に故障することは極めてまれであることが認められるから、当時熙及び允はADFのセットを怠ったか或いはセット後これを充分に注視していなかったのではないかとの疑いを払拭することができない。

6  第三に、本件事故当時の気象状況及び飛行視程について検討するに、《証拠省略》によれば、五〇号機は鹿屋基地の管制塔に対し、枇榔島上空付近でその高度を一五〇〇フィート(約四五〇メートル)と報告し、その後別紙図面P点付近で一二〇〇フィート(約三六〇メートル)と報告していることが認められるところ、P2V―7型機が同飛行場に着陸すべくその場周経路に進入するためにはその高度を一二〇〇フィートとするよう定められていることは前記のとおりであり、本件五〇号機の遭難地点が標高約三六〇メートルの地点であることは当事者間に争いがないから、以上の事実を総合すると、五〇号機の飛行高度は同図面B点以降においては概ね一二〇〇ないし一五〇〇フィート(約三六〇ないし四五〇メートル)と推認するのが相当であり、他に右認定を左右する証拠はない。

そこで右のような高度における気象状況について検討するに、《証拠省略》に弁論の全趣旨を総合すると、飛行高度二〇〇〇フィート以下(約六〇〇メートル以下)において、別紙図面B点以降の五〇号機の飛行航跡全般にわたり小雨やもやがあり視界がかすんでおり、飛行視程は右航路全般にわたって概ね五ないし八キロメートル程度であったこと、枇榔島上空付近通過のころ部分的には視程が四キロメートルのこともあったこと、五〇号機の搭載燃料からみて高隈山に衝突した際の焼燬面積は相当なものと考えられるのに現実のそれは小さく、従って当時衝突地点付近には相当強い雨が降っていたこと、以上の各事実が認められ、また、同機に数分先行して枇榔島上空付近を通過した機が他機に対して串良付近までの天候が悪い旨伝えていること及び五〇号機に数分遅れて枇榔島上空付近を通過した三二号機は志布志湾の海岸線ははっきり見えたものの陸地部分の上空に多くの雲を認めていたことはいずれも前認定のとおりである。そして《証拠省略》によれば、下総基地から鹿屋基地に向けて飛行していた五〇号機を含む九機のうち先頭機(四六四二号機)に搭乗していた指揮官は、三二号機が枇榔島上空付近を飛行中のころ他の全機に対しGCA(着陸誘導装置)による着陸を勧告していたことが認められ(右勧告があったこと自体は当事者間に争いがない。なお前掲乙第一号証には右事実の記載がないが、《証拠省略》によれば、当時飛行中の九機は鹿屋基地の管制塔との連絡をするためいずれも同一周波数に交話機械をセットしてあったことが認められるから、航空機相互間の連絡についても同管制塔はその交信を傍受しうるはずであり、現に同号証中には当日の午後一時七分に在空機相互の交信に関する記載がある。しかして指揮官が前記勧告を行ったのが三二号機において枇榔島上空付近を飛行中のことであることは前記のとおりであるところ、同機が同島上空に到達した旨管制塔に報告した午後〇時四八分四二秒の約一分前である同四七分三三秒ころから少なくとも約二〇秒間管制塔は航空機からの電波を傍受していない状況にあったことが前同号証から推認されるから、結局指揮官の右勧告がその間に行われたものと考えられるのであって、同号証の前記交話事実の記載欠缺をもって前認定の妨げとなるものではない。)、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。また《証拠省略》によれば、三二号機はその後右勧告とは別に視程障害などを判断して管制塔に対しGCA誘導を求めていることが認められる。

ところで五〇号機が有視界飛行方式により飛行していたことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》によれば、有視界飛行方式とは、有視界気象状態即ち航空機と雲との距離につき航空機を中心としてその上部に一五〇メートル、下部に三〇〇メートル、水平に六〇〇メートルの間隔を維持しかつ飛行視程が五キロメートル以上である状態を維持して飛行する方式であることが認められる。しかして高隈山付近には当時相当強い雨が降っていたことは前記のとおりであることに加え、《証拠省略》によれば、五〇号機の事故当時の平均速度は時速約一八〇ノット(約三三〇キロメートル)であることが認められるから、有視界気象状態である限り同機が高隈山に衝突する少なくとも五〇秒以上前にそれを発見しえたはずであり、発見後上昇・旋回するなど衝突を避けるための時間的余裕は充分あったはずであるのに同機が現に高隈山に衝突したことからみて、少なくとも衝突する一分前程度においては同機は右有視界気象状態でない状況下で飛行していたものと推認され、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の各事実によれば、五〇号機は全般的に有視界気象状態の最低限度に近い気象状態のもとで有視界飛行方式により飛行していたものと認めるのが相当である。

7  第四に、《証拠省略》によれば別紙図面C点の大崎と同G点の串良が互いに似た地形をしており、ベテランパイロットでもその地形の一部が見える程度の視程においては両者を混同し易いこと、更に同図面D点からE点へ向かう場合と同図面H点からI点へ向かう場合とではいずれも高隈山の方に向かって飛行するという感じが同一であることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、本件事故当時、熙及び允が専ら地形の視認によって機位を判断していたうえ、視界が悪く、局部的かつ一時的にしか地形を視認できなかったならば、五〇号機が定められた通常のコースを飛行しているものと誤信していた可能性は十分あるものと考えられる。

8  第五に、五〇号機が別紙図面D点付近で約三〇度の右旋回を行った意味を検討するに、その場合には操縦桿の操作等の顕著な飛行操縦操作を要することは明らかであるから、同機が右のような旋回を行ったことはその地点において同機の操縦者たる熙及び允が意図的に右方向に針路を変更しようとしていたものと推認するのが相当である。そして、五〇号機が枇榔島上空付近を左旋回後同図面BCDの各点を結んだコースを飛行したことが同図面IJ点方向へそのまま直進する意図に基づくものであるとは認め難いこと前判示のとおりであるところ、鹿屋飛行場に着陸する場合の通常のコースが同図面BGHIJの各点を結んだコースであり、この場合航空機がダウン・ウインド・レグに進入するためには同図面H点で右旋回をすることが必要であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、その場合同図面H点付近での右旋回の角度は約三〇度であること、同点で旋回後同図面I点へ向かうコースと同図面D点から同E点へ向かうコースとはほぼ平行であることが認められ、以上の事実に前記のジャイロコンパス等搭載計器類の性能に関する事実を総合して判断すると、五〇号機が通常のコースで鹿屋飛行場に着陸しようとしていたにもかかわらずなんらかの理由で別紙図面BCDの各点を結んだコースをそれと誤信したような場合には、ダウン・ウインド・レグに進入するため同図面D点付近で約三〇度の右旋回を要することとなること、そしてその場合には同図面E点の方向へ向かうこととなるが、ADFを除くその余の方位を知るための計器では、右の場合と同図面H点から同I点へと向かう通常のコースを飛行している場合とその表示内容に異なるところのないことが認められ、また、ADFについては五〇号機においてそのセットを怠り或いはセット後これを注視していなかったのではないかという疑いのあることは前記のとおりであるから、以上によると、五〇号機のD点での右旋回は、ダウン・ウインド・レグに進入する意図によるものと窺えるのである。

尤も、五〇号機が通常のコースを飛行したとすれば、本来同図面H点で右旋回後更に同I点で左旋回を要するところ、五〇号機は同図面D点付近で右旋回はしたものの、同図面HI点間の距離をはるかに越える距離を飛行した後にもなお左旋回をするに至っておらず、またその間同図面P点において鹿屋飛行場の東方約六海里を飛行中であると誤信していることはいずれも当事者間に争いがない。しかして《証拠省略》によれば、同飛行場の東方約六海里といえば別紙図面H点よりも更に東の地点であって、本来未だダウン・ウインド・レグに進入するための右旋回を行う以前の地点であることが認められ、また、《証拠省略》によれば、五〇号機は、枇榔島上空付近を飛行中管制塔からダウン・ウインド・レグに進入したら連絡するよう指示されていたにもかかわらず、じ後P点付近に至るまで管制塔に対しダウン・ウインド・レグに進入した旨連絡したことはないことが認められる。右の事実関係によるかぎり、五〇号機が同図面D点付近で約三〇度の右旋回をするに至ったのは、通常のコースを飛行中と誤信してダウン・ウインド・レグに進入する目的であったためではなく、別個の原因例えばジャイロコンパスに偏差を生じていたのではないかとの疑いを抱かせるところである。

しかしながら、仮にジャイロコンパスに偏差を生じていたため熙及び允が右P点における機位を誤認したとするならば、前叙のとおり右両名が鹿屋基地所属のベテランパイロットであって五〇号機の飛行距離(飛行速度・時間)の判断を誤ることはないものと推認できること及び五〇号機の速度計もまた当時故障していたことを認めるに足りる証拠もないことから、五〇号機は右P点において、これを通常航路上の一地点と考えたうえその機位が基地の近距離(最大限一、二海里)の、I点付近である趣旨の報告をしたはずである(これは、別紙図面のBDP点を結ぶ線の距離関係と、右B点と鹿屋基地の距離関係から容易に推論できる。)。しかるに、五〇号機が右P点においてその機位について「基地東方約六海里」という右推論と矛盾する報告をしていることは前記のとおりである。そうだとすると、右報告内容のみをもって、右D点における五〇号機の右旋回の原因を究明すべきではないものといわざるをえない。

また、前認定にかかる五〇号機の飛行コース自体によっても、右D点及びP点における同機の視界が著しく不良であったことが容易に推認しうるところであるが、同機は前記のとおり右P点において管制塔に対し右気象状況に関する報告をなしていないこと及び前記のとおり右P点における報告内容がいずれの見地に立っても不合理と解されることに徴すれば、同機は右D点においてダウン・ウインド・レグに進入したこと等当然管制塔に報告すべき重要事項についてその報告を怠った(その原因については不明である。)可能性も十分ありうるものと考えられる。

右のとおり前記P点における五〇号機の報告内容には不合理な点があり、また、熙及び允の管制官に対する報告経過にも不自然なところが認められるのであるから、前記4ないし8で検討した結果をも合わせ考察するときには、前叙のP点における機位誤認の内容をもってしても、D点における右旋回がダウン・ウインド・レグに進入する目的でなされた可能性を未だ否定することはできないものといわざるをえない。

9  以上の諸点を総合してみると、五〇号機が枇榔島上空付近で左旋回後、通常航路をとらないで前記飛行航跡のコースをとった原因につき、一方、同機が右飛行航跡中のBCDの各地点を含む直進航路を飛行して鹿屋飛行場に着陸しようと意図していたところ、右D点付近においてその機位を知る上で最も重要な計器であるジャイロコンパスに突然にしろ累積的にしろ約三〇度の偏差が生じたことが主原因ではないかと窺える部分もあるのであるが、他方、同機が通常航路を飛行すべく意図していたものの、当時有視界飛行状態の最低限度に近い気象状態にあり、地形的に類似性のある大崎と串良とを誤認したため通常のコースを飛行しているものと誤信した結果、同図面D点でダウン・ウインド・レグに進入しようとして意識的に約三〇度の右旋回を行い、その後は何らかの原因で機位の判断を完全に誤る状況に陥ったものとも考えうるのであって、これらを彼我対比して考察するときは、本件事故がジャイロコンパスの故障によるものであると断定することはできない。

してみると、営造物である本件五〇号機の設置・管理に瑕疵があったことは結局その証明を欠くことに帰着するから、右瑕疵の存することを理由とする原告らの主位的主張は失当として排斥を免れない。

三  原告らの予備的主張(安全配慮義務違反)について判断する。

1  熙及び允が海上自衛隊員であったことは当事者間に争いがないから、被告は同人らに対し、被告が同人らの公務遂行のために設置すべき場所・施設若しくは器具等の設置管理又は同人らが遂行する公務自体の管理にあたって、同人らの生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解すべきである(前掲最高裁判所昭和五〇年二月二五日判決参照)。そして、右の安全配慮義務の内容は、これが問題となる当該具体的状況等によって異なるものと解される。

そこで熙及び允が五〇号機の航行という公務を遂行するにあたり、被告が右述の義務を怠ったか否かについて、原告らの主張順序に従ってこれを具体的に検討する。

2  本件五〇号機に搭載のジャイロコンパスをはじめとする計器類について整備不良があったこと、同機が飛行中その計器類に故障が生じたことについては、いずれもこれを認め難いことは前判示のとおりであり、《証拠省略》によれば、右五〇号機のエンジン、プロペラは正常に機能していたことが認められる。そして、他に被告が五〇号機の設置管理に関し安全配慮義務を懈怠したことを認めるに足りる証拠はない。

3  タカンは、地上から航空機搭載機器に電波を送って航空機の飛行場に対する方向と距離との確認を可能ならしめる航法援助施設であり、本件事故当時鹿屋飛行場のタカンはその運用を停止していたこと、熙及び允はノータムにより右停止の事実を了知していたことはいずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、熙は下総基地出発前に鹿屋飛行場における航法援助施設のうち使用可能のものはGCAとADF対応装置でありタカンの使用ができないことをあらためて確認していることが認められる。

ところで、P2レーク型機には機位確認のための計器としてタカン対応装置のほかADF及びロランが搭載されていること(なお、GCAによる着陸誘導を受けることは後記のとおりである。)、通常操縦士はあらゆる計器からの情報及び視認した地形等から総合的に判断しチャートに基づいて自機の機位を確認するものであることはいずれも前記のとおりである。また《証拠省略》によれば、当日五〇号機とともに下総基地から鹿屋基地に飛行した他の八機については特に支障もなく、タカンの援助なしで(一部GCA使用)無事飛行、着陸していることが認められる。

以上の事実によれば、なるほどタカン自体は航空機の飛行、殊に飛行場への着陸については極めて有効かつ重要な器械であることが認められ、本件事故がなんらかの理由により五〇号機がその機位を誤認した結果によるものであることは当事者間に争いがないことからみると、当時タカンを運用してさえいれば或いは本件事故には至らなかったのではないかと考えられなくはないのであるが、それなくば直ちに航行の安全に支障があるものとはにわかに認め難いばかりか、熙及び允は当時タカンの運用停止を事前に了知していたのであるから、有視界飛行が不能な場合にはタカン以外の計器、殊にGCAによる着陸誘導などを充分に活用して飛行着陸することを予定していたものと推認されるのであり、前認定の事実関係に照らせば、五〇号機がGCA及びADF等を活用していたならば本件事故が発生しなかった蓋然性は高いものと推認できる。そうだとすると、前述のタカンの運用停止の事実をもって被告が安全配慮を懈怠したものということはできない。

4  五〇号機がGCAによる着陸誘導を受けなかったこと、しかしてGCAによる着陸誘導は航空機からその旨の要請がある場合に行われるのが原則であることは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、下総基地から鹿屋基地に向かう五〇号機を含む九機の先頭機に搭乗していた指揮官が他の全機に対し、GCAによる誘導着陸を勧告していたことは前記のとおりである。しかして指揮官の右勧告は各機の操縦員に対してなされたものであるから、右事実をもって管制塔又はGCA担当員が各機からの要請をまたずにGCAによる着陸誘導に着手すべき義務があることを根拠付けるには足りない。そこで更に、右勧告をうけた在空機の操縦者の対応についてみるに、三二号機はその後右勧告とは別に視程障害などを独自に判断して鹿屋基地の管制塔に対しGCA誘導を求めたことは前記のとおりであるから、在空中の各機の操縦員はその独自の判断でもGCA誘導の要否に決しており、いずれにせよGCAの担当員が自発的にGCA誘導に着手することは予想していなかったものと推認され(《証拠省略》によれば、有視界飛行方式の可否については当該機の操縦者こそこれを最も適切に判断しうるので、有視界飛行方式から計器飛行方式に切り換える場合には、管制塔の許可が必要とはいえ、操縦者の判断が第一次的に尊重されるのであって、右飛行方式の変更が管制塔からの命令若しくは勧告でなされることは原則としてないことが認められる。)、他に反証は存しない。

なお《証拠省略》中には、五〇号機は管制塔に対し、同機の機位を東方約六海里と報告したのち同機の機位を確認しておいてくれるようにというGCAアドバイザリー(正式な着陸誘導ではなく、単なる機位の確認をいう。)を要請していたとの記載部分があるが、《証拠省略》によれば、交話記録中には右のような事実を窺うことはできず、また航空機が着陸しようとする場合、GCAアドバイザリーは飛行場から相当離れた時間的に余裕のある地点で要請するのが通常であり、飛行場から六海里ほどの地点に至った場合にはむしろGCA誘導自体を直截に要求する方が正確であることも認められるのであって、結局五〇号機がGCAアドバイザリーを要求したことは未だ認めるに足りないものというべきである。

以上の事実によれば、着陸誘導の要請なき五〇号機に対し、鹿屋基地のGCA担当者らが同機に対するGCA誘導を行わなかったことをもって、被告が安全配慮義務を怠ったものと認めることはできない。

5  《証拠省略》によれば、管制塔は午後〇時四三分四五秒から同四四分三五秒までの間枇榔島上空付近に到達した五〇号機と交信して着陸に関する指示を与えた後、同五〇分二七秒に同機の機位の報告を求めるまでの間同機と交信を行っておらず、結局管制塔と同機との交信はその二回だけであること、同機もその間管制塔に交信を求めていないこと、またその間管制塔は同機に先行していた二〇三―四六二〇号機及び二〇三―四七二七号機に対して着陸に関する具体的指示を与え、その後約二〇秒間交信に乱れを生じたが、後行していた三二号機が枇榔島上空に到達したとの報告をうけ着陸に関する指示を与えたことが認められ、また《証拠省略》によれば、航空機と管制塔との交信の周波数は各機とも同一のものにセットしてあるから、ある機が管制塔と交信中の場合他機はモニターでその内容を聞きとることは可能であり、従ってまたそれと重複する形で管制塔と交信を行おうとすることもできることが認められる。従ってなるほど管制塔と五〇号機との間の交信は僅か二回にとどまっているが、特に同機がそれ以上の交信を求めようと思えば求められるのにこれを求めていないことからみて、右二回の交信の内容自体は着陸態勢に入ろうとしている同機に対する指示として必要かつ一応充分なものであったと推認され、結局五〇号機との交信回数、交信の一時の乱れをもって同機からの交信を満足に傍受していないものと認めるに足りず、他にこれを認める証拠はない。

また《証拠省略》によれば、管制塔は五〇号機の機影を遂に確認することができなかったことが認められるが、《証拠省略》を加えて判断すると、午後〇時四三、四分ころ管制塔付近の視程は約四キロメートルであったこと、五〇号機はそのころ枇榔島上空付近に到達したと報告していたので、同五〇分ころ、ダウン・ウインド・レグに入る時期と判断して管制官が同機に機位の報告を求めたところ、同五〇分三一秒、同機は飛行場の東方約六海里と答えたこと(このときの同機の実際の機位が北方約五海里であったことは前記のとおり。)、管制官は暫時飛行場の東方を見ていたが依然同機を視認できなかったので、再び同機にその機位の報告を求めたが同機は遂にこれに応じるところがなかったことが認められる。

以上のとおりであるから、本件管制塔における航法交通関係の業務遂行上、被告が安全配慮義務を懈怠したものとは認め難い。

6  《証拠省略》によれば、管制塔は五〇号機が枇榔島上空付近に到達したことを報告してきた際、飛行場上空の風向、風速、気圧に関する情報を告知し、特に東の視程が非常に悪いから気をつけるようにとの指示を与えていることが認められるところ、本件全証拠によるも、同機が右のほかに気象情報を管制塔に求めたとの事実は認められない。従って、管制塔における気象情報通知関係の業務遂行上、被告に安全配慮義務の懈怠があったことを認めることもできない。

7  以上の検討結果によれば、原告らの指摘する五〇号機の設置管理並びに鹿屋基地における航法援助機器の設置管理及び同航法援助業務遂行上の諸点について、これを個々的に或いは総合的に考慮してみても、未だ被告に安全配慮義務違反があったことを認めることができないから、原告らの予備的主張もまた失当である。

四  よって、原告らの請求は、じ余の争点について判断を加えるまでもなく、いずれも理由のないものであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷卓男 裁判官 飯田敏彦 佐藤陽一)

〈以下省略〉

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